黄精おうせい

 

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ユリ科カギクルマバナリコユリ(鳴子百合)の根茎を乾燥させた、黄精(おうせい)は、中国では「体力をつけ、白髪をなくし、歯の落ちたるを留める」若返りの妙薬とされています。

黄精(おうせい)にまつわる中国の民話を2話ご紹介します。

ところは中国のとある山中、昔々、華陀(かだ)という名医が旅をしておりましたところ、年の頃18~19歳くらい、一人の少女が屈強な大人の男たちに追われているのを見ました。

体力的には男たちの方が優位に見えるのに、少女は息切れもせず易々と男たちから逃げ切り、一方追っていた方の男たちは息も絶え絶え、ついにはしゃがみこんでしまいました。

男たちに聞いたところによると、この土地の地主の小間使いである少女を追っていたとのこと、少女は3年前に山に逃げ込み、とっくに餓死していると思っていたが、村人が山で見かけたというので探しに来て見た、見つけたはいいが以前のか弱い少女からは想像もつかないほどの速さで走られて逃げられた、という事でした。

ボスになんて言い訳をしようか・・・思案にくれている男たちを背に、華陀(かだ)は少女を探しに行きました。

しばらくして少女を見つけた華陀(かだ)は、自分は追っ手ではない、医者だ、と自己紹介をしたうえで「あなたを追っていた男たちに聞きました。あなたはもともとあまり体力のない方だったと伺いましたが、先日見かけたあなたはとても強く早く走って、男たちから逃げ切っていましたね。私はその理由を知りたいのです。」

すると少女は少し思案してから「きっとあの百合かも知れない」山に入っておなかのすいた少女は、山に自生していた小さな花をつける百合の根を食べていたそうで、その根は黄色でまんまるとしていたので黄鶏(ひよこ)という名前をつけたとのことでした。

華陀は早速、その百合が咲いている場所へ案内してもらい、百合の根を持ち帰り、いろいろな病人に試してみました。

食欲がなく体力のない病人に山芋を食させると体力はつきますが、便秘になるので困っていました。そこで少女の黄鶏(ひよこ)を食してもらうと、食欲が増し、体力もつき、便秘にもなりませんでした。

また、痰が少なく空咳を繰り返す人、足腰のだるい人、空虚感のある人などに用いて、華陀は『黄鶏(ひよこ)は胃と肺と腎に効果がある』と考え、また精力をつけて病を治すことから、黄精(おうせい)という名前をつけました。

中医学、中成薬学の世界では、華陀(かだ)は有名な名医です。中国の後漢末期の医・薬・鍼灸において天才的な手腕を発揮した実在する人物ですが、実名(華陀は優れた先生の意)や生まれ年は不明(~208年)です。麻酔を最初に発明した、ともいわれています。『三国志』や『後漢書』にその功績が綴られています。

 

もうひとつの民話です。

昔々ある村で、年老いた貧乏な夫婦が一人娘の荷花(かか)と3人で暮らしていました。荷花(かか)は16歳、まるで蓮の花から生まれたようにとても美しい娘でした。

ある時、あまりに貧しくて、荷花(かか)の両親は地主に借りたお米を返せないでいました。

すると地主は米の代わりに荷花(かか)を奪い去り、自分の妾にしてしまいました。荷花(かか)の両親は荷花(かか)を奪われた悲しみの余り、病気になってしまい、地主には正妻とたくさんの妾がおりましたので、荷花(かか)もひどい扱いを受けていました。

地主宅には、他にもたくさん働いている人がおりましたが、その中で親切なある女性が荷花(かか)を気の毒に思い、手引きをして、屋敷からの脱出を手助けしてくれました。

荷花(かか)は山中に逃げ込み、草や木の実などを食べて暮らしていました。山の恵みのなかで荷花(かか)の一番大好きだったものは、黄色くて丸い形をした百合根でした。

山中に逃げ込んでから2年後、地主の使いの男たちに見つかり、走って逃げました。普通なら足の速さや体力で負けて、あっさりと捕まってしまうでしょう。ところが荷花(かか)の脚力は強く、体力は満ち溢れており、追っ手から逃げ切ることが出来ました。

さて、秋になり、荷花(かか)は幸せだった日々に思いをはせながら、植物の根や果実を蓄える作業をしておりました。

そのとき、若い青年の歌声が・・・。

青年と荷花(かか)は一目で恋に落ち、二人は幸せに暮らしました。青年は妻が山で好んで食していた黄色くて丸い形をした百合根を「黄精」と名づけ、家伝の妙薬として後世に伝えました。

 

二つ目の民話には華陀(かだ)は出てきませんが、大体のあらすじは同じですね。

江戸時代は、砂糖漬けにした黄精(おうせい)がよく売られていたようで、特に遊郭からの注文が多かったようです。[「切見世(遊女のいる場所)へ黄精売は引っ込まれ:川柳」]

江戸時代の俳人、小林一茶は、黄精(おうせい)のお酒、黄精酒を愛飲していたようで『七番日記』という書に記述があります。小林一茶は52歳で24歳年下の妻、菊を迎えたのを皮切りに、菊の死後も2人の後妻を向かえ、通産、3人の妻と5人の子供を授かっています。小林一茶は自分で黄精(おうせい)を採取しにいっていたほど、黄精(おうせい)が大好きだったようです。

『足の三里に灸せぬもの、黄精(おうせい)を食べぬものとは旅をするな』という松雄芭蕉の言葉も伝えられています。

黄精(おうせい)は、滋養強壮・強精の生薬として、例えば病後の衰弱した体力の回復や虚弱体質の体力回復などに主に用いられます。他に胃腸虚弱、慢性の肺疾患、糖尿病、咳嗽への応用もされています。

中国では古くから、黄精・九蒸九晒という製法を守り続けています。九蒸九晒とは、生の黄精をせいろなどで蒸す→天日乾燥、これを9回繰り返す製法です。

黄精(おうせい)は根茎なので、でんぷんを多く含んでいます。でんぷんは60℃以上の熱で消化しやすい状態に変化(α化)します。しかしα化に130℃の熱を必要とするでんぷんもあります。また、黄精(おうせい)に含まれるアルカロイドは生で食すると口内や喉に刺激を与える、といった問題点があります。加熱処理をすることでこれを和らげることが出来ます。

「焼く」では加熱ムラがおきますし、「茹でる」では水中に有効成分が溶け出しますし、そもそも100℃以上の加熱は不可能です。

9回蒸して加熱することにより、食べやすく消化しやすくし、9回天日に干すことでα化を定着させ水分を除去し日持ちしやすくする、九蒸九晒といった製法は、黄精(おうせい)にとって実に理にかなった製法で、この製法を確立した古人は本当に素晴らしいとしかいいようがありません。

 

 

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